キャリア形成を考えると、需要のある能力やスキルの開発は必須だといえる。一方で、需要があるということは供給も増え、自然と競争も激しくなるだろう。この構造は単純ではないにせよ、需要が増える分だけリスクも高まると感じている。
苦手な分野で戦っても勝てないだけ
私は人生の目標を「経験と自由の最大化」と位置付けているが、苦手なことが二つある。一つは勉強、もう一つは競争だ。
まず、私は勉強が大の苦手だ。小学校で算数につまずいて以来、勉強が嫌で仕方がなかった。よくある話だが、嫌いな勉強を押し付けられるとさらに嫌いになり、成績も悪化する。私はまさにその典型だった。しかし、親を恨む気はなく、自分の現状はすべて自己責任だと考えている。
二つ目は競争だ。私は本当に競争が苦手で、特に本番を伴う競争は何が何でも避けたい。かつてピアノを習っていたが、発表会で緊張して楽譜が読めなくなり、恥をかいた記憶がある。あの経験は今でも苦い思い出だ。徒競走でもビリが定位置だったが、唯一美術だけは得意だった。高校生の時、美術展覧会で優秀賞と奨励賞をもらったことが人生で初めての成功体験だ。
話が脱線したが、要は需要のあるスキルを手に入れたとしても、競争が激しい場では私より上の人間や同格の人間が多数いるため、大きな成果を出すのは難しいと考えている。
どこ逃げても競争は存在する
そもそも、一般的に認知されている職種は一定数の供給があり、必然的に競争も存在する。
例えば、ユーチューバーは時代とともに職業として受け入れられ、需要と供給が増えて競争が激化した。しかし、YouTubeというプラットフォームには年齢制限や性別の暗黙ルールがなく、投稿するだけで収益化のチャンスがある。この点で、就職活動よりも平等なフィールドだと感じる。
一方、一般的な職業は違う。会社や採用枠は有限であり、希望する条件を満たす仕事が得られるとは限らない。就職後も同じ能力層での競争が続く。能力主義が加速する社会では、私のような「平均以下」の人間が挑むのは非合理だと思う。
低空飛行で生きるとは競争をしなくても勝てる場所を目指すこと
全く競争のない場所を見つけて、そこにコミットできるのはもはや努力とか関係なく才能や運に近い。そんなことができるような人間を目指すのはありかもしれないが、現実的ではない。だが、競争を避けて戦うことは現実的で合理的だ。
無限の稼ぎ方が存在する時代、需要のある分野への挑戦は否定しないが、勉強と競争が苦手な私が供給過多な場所で戦うのは不自由なだけだ。だから私は、低空飛行で生きると決めた。本業で競争せず、ローコストで暮らす生き方を模索し、生まれた時間を競争しなくても勝てる場所に向かうためにコミットするのだ。
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