昨今は生成AIの誕生で誰でも簡単にコンテンツを作れるようになった。noteでも生成AIが作ったんだろうと推察できる記事が大量に投稿されている。
それら全てが無意味だとは言わないが、発信者のコンテンツにならない記事を永遠と投稿しても意味がないのではないかなと、個人的には思っている。
感情が動かす経済活動
まず、経済を回すのは人間で、人間には感情がある。現時点でAIがモノを買うことは無いし、感情もない(と思う)。少なくとも感情が動機で経済活動をすることはないだろう。この前提条件をもとに考えていく。

AIが生む価値とその限界
全行程をAIが作ったコンテンツに、価値が生まれるのかと言うと、稀だと思う。NFTや生成AIの芸術作品に億単位の価値がつくこともあるが、それはマーケティングやバブル的要素、特定のアルゴリズムで生成されたという希少性など、様々な要素が絡んだ結果だ。
ChatGPTにテーマだけ指示するという参入障壁の低い方法で生まれたコンテンツを参入障壁の低い場所で量産してもあまり意味がないように思える。結局、他人の引用という手段がAIに代替されただけであり、発信者自身にコンテンツがなければ誰もお金や時間を払いたいと思わないだろう。少なくとも継続的に需要のある手段ではない。
ブランド力が価値を生む
宮崎駿のジブリ映画はお金を払って観たいし、宮崎駿が生成AIを駆使して作ったジブリ映画なら観る価値はあるだろう。しかし、他人が宮崎駿AIを駆使して作ったジブリ映画を観たいと思う人は少数だろう。宮崎駿というブランドそのものに価値があるのだと思う。
ブランド力とは単なる知名度だけではなく、長年の経験や実績、発信者が持つ独自性や信念が反映されたものである。宮崎駿の映画が愛されるのは、彼の描く物語やキャラクターが、作者の思想や価値観を背景に持ち、観客の心を動かすからだ。それはAIが再現するには難しい領域だ。
ブランド力を築くには、自分が何者で、何を伝えたいのかを明確にし、それを表現することが重要だろう。そのためには、自分の価値観や信念を形にして発信する努力が求められる。

人間の感情が選ぶもの
ただ、もしかしたらこの価値観は時間の問題なのかもしれない。例えば、私は食事にあまり興味がないので、有機農法だろうがなんだろうが関係なく食べるが、気になる人は気になる。
ファストフードが当たり前の時代に生まれた私にとっては、目の前の料理が「人が作ったか、ロボットが作ったか」は重要ではない。美味しければそれで良い。

種から肥料まで全てをAIとロボットが管理した完全自動のロボファームで栽培された野菜と小麦粉を使い、調理ロボが作ったマカロニサラダでも私は多分気にせずに食べるだろう。
それでもどちらかといえば、シェフの手で作った料理を食べたいと思うのは、私には感情があり、感情で経済を動かしているからだ。有名なシェフが作ったマカロニサラダと同じ価値なら、シェフの料理を食べたいと思う。
AI時代における競争の本質
一見無関係に思えるこの事象は、コンテンツと関係している。生成AIでコンテンツを量産する場合、競合相手はChatGPTそのものになる。なぜなら、コンテンツの中身が同じなのだから、違うのは発信手段だけだ。その発信手段を選ぶのは人間で、人間は感情で経済活動をする。
シェフ(発信者)の腕を磨くことがブランド価値だとすれば、AIで量産した料理(コンテンツ)の価値はコストになる。同じコストでコンテンツを量産できる人が他にもいる時点で、すでにレッドオーシャンなのだ。結局はブランド力を身に着けなければいけない。
発信者のブランド力を磨く重要性

とは言え、別にAIを使うことを否定するわけではないし、むしろ積極的に利用すべきだと思う。コンテンツ価値の本質はAIを利用しようが、発信する人間のブランド力が重要だということだ。
起業家や権威的な人間であれば、全行程AIでつくっても価値は生まれるだろうが、秀でた魅力も能力もないただのプロレタリアートである私にできる事は、発信内容で私の価値を生み出していくことだと思う。
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